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街の個人時計店がボンボン時計修理で伝統を繋ぎ、子供達の夢を作る

 
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街から個人の時計店が次々に無くなっています。その背景は、過去において共に繁栄を築いた 時計メーカーから販売面でも修理面でも見捨てられてしまった為です。 この時計店はボンボン時計という昭和の懐かしい時計の修理再生事業を 尖らせることで集客に成功し、店舗が街の再開発に巻き込まれながらも 事業継続という社会的意義を見出すに至りました。

メーカーと小売店の関係が崩壊し、衰退産業へ

 昭和時代、店頭に新商品の時計が並ぶと飛ぶように売れていきました。 メーカーの営業マンもポスターやPOP等の販促品を欠かさずに持ってきてくれました。 今では見かけない車の天井にスピーカーを乗せた 宣伝カーが近所を回り、セールの案内をしていました。 お買いになったお客様から「ありがとう」の言葉を頂いていました。
やがて量販店が時計を扱うようになり、状況が変わったのです。 メーカーに積みあがった在庫を大量に捌いてくれる量販店ルートに重点を置き安価で卸した結果、商店の仕入れ価格よりも量販店の販売価格の方が下回るという事態となりました。 小売店からの不満の声にもメーカーは耳を貸さず、挙句の果てにカタログも有料支給となり、従来までの関係は完全に崩壊する事となりました。
客は量販店へ流れ、物品販売による売上が期待できなくなると、修理による売上に掛けるしかありませんでした。

 間もなく海外から安価な時計が入ってくるようになり、日本の時計メーカーさえも物品販売による 利益確保が難しくなる事態に陥りました。 そうなるとメーカーも同じように修理による売上確保に動くのですが、何ということか街の小売店へ修理用のモジュールを卸さなくなったのです。 即ちGPS、電波、ソーラー付きの腕時計はメーカー修理が必須となったのです。 近所の時計店に出せば10日もあれば修理完了していたものが、メーカー修理の場合は発送も含めて3週間以上の 期間を要する事になり、ユーザーには大きな不利益が生じています。

修理による生き残りも厳しくなった街の時計店は先を見通すこともできず、家族内での後継ぎも断念して次々と廃業と追い込まれています。 もはや小売店で対応可能な腕時計はメーカー側でも修理期間切れとなって断られた10年以上前の時計に限られてきました。   

若い世代は知らない、懐かしい音色のボンボン時計とは

栗原時計店(仮称)も全く同じ状況です。 修理品を仕入れて再生品を売るべく古物商許可を取っていましたが、警察署からの盗品捜査協力対応に 疲れ、同許可を返上したため、買取り業務は出来なくなりました。 そこで目を付けたのがボンボン時計の修理、再生品販売ビジネスです。 ボンボン時計とは「ボンボン」と鳴動する回数で時刻を知らせます。 柱に掛けるタイプが主流で、大型のもので床置きタイプあります。 振り子がついていてネジを巻いて動力を得ます。 動かなくなって最新の電池式を求めるお客様が処分に困って置いていくケースが散見され、 それらを修理して販売することにしたのです。

店舗の壁には再生品のボンボン時計が展示販売され、興味を持ったお客様が来店されると ネジを巻き、渦巻き型の鈴を打って奏でる時報の音色を聞かせることで、 販売に繋げていきました。

お店には10年近く前に準備したホームページがあります。 あくまで腕時計修理をメインに打ち出しており、ボンボン時計の再生品販売はおまけ程度の扱いです。   

店舗が再開発地区に入り、移動を余儀なくされることに

駅周辺の再開発が活発化し、駅から徒歩5分の栗原商店もついに再開発対象地区に入ってしまいました。 幸いにも店全体の立ち退きには至りませんでしたが、前の道路の拡幅工事のため、店舗の道路側半分の 明け渡しを求められました。 替わりに店舗を高層化して提供される条件です。 店が新装される代わりに、売り場は階が分断されることになるため、従来の腕時計修理を待つ 時間にボンボン時計を見てもらいながらセールストークを打つことが難しくなります。 これを機に移転するか、廃業するか、新装ビルで続けるかの選択を迫られます。   

街の信金から頂いた地域応援クーポン掲載の話をどう生かすか

再開発の話を機に、メインバンクの信金から地域応援クーポンの話を得ました。 信金の店頭で来店客に配られるクーポン冊子です。 割引チケットとしての機能がメインですが、文面にて店舗のホームページへの 誘導も可能です。

栗原さんはこのタイミングでのクーポン参加を運命と捉え、同場所での新装ビルでの 店舗継続を決断しました。 しかしタダでさえ減少していた客数では不安が多く、企画広告専門家に相談をしました。

お店には10年近く前に準備したホームページがあります。 あくまで腕時計修理をメインに打ち出しており、ボンボン時計の再生品販売はおまけ程度の扱いです。   

機械時計人気復活の兆しで、生き残る社会的責任を見出す

専門家とじっくり会話を重ねると、創業時の考えを思い出しました。 思い出の詰まった腕時計を再び動いている様子に喜ぶお客様の顔が見たい。 街の時計店が減り、古い時計を修理する手段が見つからず困るという事態を作ってはいけない。 専門家は次のように提案しました  ・ホームページを見た上での来店を促すために閲覧数を上げる  ・そのために「ボンボン時計修理」を尖らせた内容に作り変え、   修理再生サービスに対して新たにブランド名を冠する  ・店頭販売中ボンボン時計全品の時報音色と機構内部まで見せる

専門家の支援を得ながらコツコツとホームページの更新を続けた結果、 検索数と共に来店者数も増えていきました。 また以前と違うのは買う気の高い状態で来店されるので、セールストークが 薄くなっても購買に至るという点です。   

衰退産業であるが伝統を繋ぐ存在意義のもと社会貢献

そして物を大切に長く使うという社会の流れに乗り、小学校で出張修理実演会に 招かれるようになりました。 時間はスマートフォンや安いデジタル腕時計でしか見なくなった子供達には まるでからくり時計のような機械に興味深々です。

スマートフォンやスマートウォッチの味気無さに飽きた大人たちが、 機械式腕時計に興味を持ち出すという流れも出てきたため、その人達の将来の 修理難民化を防ぐため、修理事業を継続するという社会的存在意義を ますます強く感じました。

手が掛からないに飽き、手がかかる、世話をしたいという客層に刺さったのです。 手を掛けるほど愛着が深まるのです。